#Yamanokai
北海道の南西部、渡島半島の付け根に位置するせたな町とその隣の今金町でオーガニックな農法で
作物や家畜を育てているのがやまの会。名前の由来となったのは、この地域が海・街・山の3つのエリアに
分かれていて昔から「うみの人」「まちの人」「やまの人」と呼びあっていたことから。
やまで農業にを行っていたことから会の名前がついた。
2019年にはやまの会のメンバーがモチーフになった映画「そらのレストラン」も公開となりました。
1966年釧路市生まれ。高校時代から音楽の才能を発揮し、インディーズのバンド活動を行う。20代の頃、持病だったアトピー性皮膚炎が悪化し、肥料や農薬を使用しない自然農法の作物を食べることで健康を取りもどしたいと道内各地で農業の経験をつむ。
2001年瀬棚郡今金町で新規就農。2004年久遠郡せたな町で農地を取得し移住。翌年、ここで秀明ナチュラルファーム北海道設立。自然農法の米や大豆をつくるほか、とうふや醤油などの加工品もつくっている。
1973年生まれ。
今金町の農家の5代目。高校時代独学でダンスを続け大学ではスノーボードに熱中し選手として活躍をはじめる。2000年のシーズン後、父の他界により農業を継ぐ。
以後、7年間、春から秋は畑仕事をし、冬はスノーボードをする暮らしを続ける。
2007年「シゼントトモニイキルコト」を法人化。2012年NPO法人「シゼトモoikos」を設立。多種多様な野菜をつくるほか、食や音楽イベントなど幅広い活動を行う。現在、冬期は札幌で過ごすことも多くレストランのサポートやスノーボードのコース設計なども行っている。
1981年生まれ。祖父母の代からせたなで酪農を行う。
父親の代で近代化され規模が拡大。村上さんは長男として生まれたが後を継ぐ気持ちはなかった。
大学に馴染めず中退し、観光業も行う牧場で働く。
6年ほど経験を積んだ後に故郷に戻り2008年にチーズ工房をスタート。父親の飼う牛でチーズをつくっていたが2012年には自ら牛を飼うようになる。
草だけで牛を飼う取り組みを行いながらチーズづくりにも精を出す。スローフードを広める活動にも参加し毎年夏にせたなで開催される食と音楽のイベント「海フィール」では運営を手がけている。
1978年生まれ。せたな町の愛知地区の農家の3代目。
お米14ha.トマト1万本.羊を60頭ほど育てている。
子供の頃は農作業の手伝いはまったくせず、放課後は映画を見たりゲームをしたりが多かった。高校卒業後に札幌の専門学校で建築・デザインを学び、19歳でせたなに戻り農業を始める。
春から秋にかけては田畑の作業で大忙し。冬になると暮らしは一変し、半年間とりためた映画を見つつ取引先を訪ねて全国を旅することも。
せたなで漁師業を続ける4代目。マーレ旭丸の代表。
18歳で漁をはじめ、30歳で水産加工品も手がけるようになる。50歳の頃スローフードという考えに出会う。以後、スローフード・フレンズ北海道のサブ・リーダーをつとめ、現在は、スローフード北海道西の顧問。せたなの夏の恒例イベント「海フィール」の中心メンバー。
このイベントを通じてやまの会との交友がはじまり、さまざまな企画を共同で行っている。
1977年小樽市生まれ。
小学生の頃からサッカーに熱中し、中学校ではサッカー部で活躍。高校卒業後は地元の潜水調査会社で働く。この会社を退社後は夏は働き冬はスノーボードをする生活を続ける。
札幌に拠点を移しスノーボードを通じてソガイハルミツさんと出会う。
33歳の頃に、今金町で農業をスタートさせていたソガイさんの元を訪ねたことがきっかけでせたなの農業生産会社に入社。3年後に養豚を行うファームブレッスドウィンド(祝福された風)を引き継ぎ、やまの会のメンバーとなる。
プロフィール紹介は『やまの会が語った 死ぬと生きる』の本から引用させていただきました。
絵・文 來嶋路子/森の出版社ミチクル。カラー88ページ。印刷は中西出版。
1400円(税別)。希望者はミチクル編集工房のサイトやFacebookでお問い合わせください。
ミチクル編集工房ホームページ:http://michikuru.com